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久保田たかし(崇)の『復興・防災論』【その8】

コラム

「大槌町の旧庁舎解体決定」から震災遺構を考える

※この記事は2018年3月20日に作成されました。

2013年に解体された陸前高田市役所旧庁舎。2011年撮影、同市提供

旧役場庁舎の解体関連予算案を審議した3月15日の岩手県大槌町議会では、可否同数(6対6)だったことから、議長採決により解体が決まりました。
「後世に津波の脅威を伝えることができるのに、なぜわざわざ解体するの?」という素朴な疑問を持つ方もいるでしょうし、「なぜ、震災から7年のこのタイミングで?もっと早く決められなかったの?」と思う方もいるでしょう。

本稿では被災地の震災遺構を解説します。

「目にするのが苦痛」との遺族の声
大槌町の旧庁舎は、東日本大震災の津波で当時の町長と職員の計40人が犠牲になった建物です。この件に関しては、河北新報が本年3月にアンケート調査を行なっており、その結果は68%が「解体すべきだ」、7%が「保存すべきだ」、11%が「時間をかけて検討すべきだ」と答えています。

私も知り合いに聞いてみましたが、住民の多くが解体を望んでいるようであり、議会で可否同数までもつれたのが疑問、という声も聞かれました。
解体すべき理由としては「維持管理費がかかる」「目にするのが苦痛」「復興まちづくりの妨げになる」「町長が選挙で公約した」などが、保存すべき理由としては「今後の防災に役立つ」「解体すると震災が風化する」などが挙がりました。

各地でも震災遺構の扱いに苦慮
私が関わった陸前高田市の旧庁舎も、そこで命を失った犠牲者の遺族感情に配慮して2013年に解体されました。
遺族には、「この庁舎を見たくない」「今後新しいまちに生まれ変わっても、この庁舎がある限り、新しいまちには近づけない」という思いがあるのです。他方で、旧庁舎は解体されても、同市の震災遺構としては、保存された奇跡の一本松や旧道の駅(タピック45)、気仙中学校などが残ります。
大槌町では他に民宿屋上に乗り上げた観光船「はまゆり」がありましたが、倒壊の危険性から直後に解体され、復元計画はあるものの目標額4.5億円の1%も寄付額は集まっていません。
また、最期まで防災無線で避難を呼びかけ続けて犠牲になった女性職員の「命をかけたアナウンス」で知られる南三陸町の防災庁舎は、宮城県の管理に移行し(震災から20年後の)2031年までに結論を出すことになっています。

震災遺構の保存・解体問題は正解のない問題
大槌町の旧庁舎を巡っては、前町長の碇川氏が震災遺構として一部保存を主張していましたが、2015年8月の町長選で解体方針を掲げる平野公三氏(現町長)が当選しています。
結論を得るまでに多くの時間を必要とする理由は、住宅再建などと異なり遺構の問題は後回しにされることが多いことと、賛否両論あって簡単に決断できないからでもあります。
国は「被災市町村ごとに1箇所」に限って保存初期費用(維持管理費は対象外)の支援*を打ち出していますが、保存・解体の判断自体は各市町村に任されています(上述の南三陸町の防災庁舎は宮城県が関与した)。
今回、現町長の公約が実現した形となりましたが、死者が出ている震災遺構の保存・解体は本当に難しく、正解がない問題です。だからこそ、各地で結論が分かれていたり、結論が先送りされているのではないでしょうか。