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久保田たかし(崇)の『復興・防災論』【その6】

コラム

東日本大震災で生死を分けたのは、一体何だったのか?

※この記事は2018年3月9日に公開されました。

避難所となっていたが130-170人が犠牲となった陸前高田市の市民会館(中央白い建物)。同市提供

東日本大震災から7年を迎えました。
この震災から、私たちはどんな教訓を学べるのでしょうか。
私は岩手県陸前高田市において2013年2月に開始された東日本大震災検証委員会の委員長として、1,757人の死者・行方不明者を出した陸前高田市の検証報告書の作成に携わりました。
この経験から、同市において生死を分けた要因を解説したいと思います。

全世帯アンケートから判明した、津波から生死を分けた要因
報告書の中でまとめた「本検証作業から得られた主な反省と教訓」の第一に挙げたのが、「避難が何より重要」ということです。
何を当たり前のことを、、と思われる方もいるかもしれませんが、避難行動をしっかりとっている人は、それほど多くないのです。
実際、陸前高田市の全世帯を対象としたアンケートからも、そのことが見て取れます。
地震発生時にいた場所が津波浸水域となった人で、当日の行動について情報が得られた人のうち、被害がなかった人は津波到達前までに8割の人が避難していたのに対し、犠牲者の場合はその割合は5割程度に止まり、4割の人は避難をしていませんでした。(犠牲者についての情報は、ご遺族の方にご協力を得てアンケートを実施しました)
これに対し、校舎が津波により水没した気仙小学校(児童数94人)と気仙中学校(生徒数93人)をはじめ市内の小中学校の児童・生徒のうち、学校の管理下にあり教職員とともに避難行動を取った児童・生徒は素早く避難行動を開始したことで、幸いにして全員無事でした。
このことから、人的被害を防ぐためには、とにかく「逃げる」ことが大切であることがわかります。

避難所で命を失ったケースも・・・
一方で、「反省と教訓」の第二に「避難所に逃げたら終わりではない」を挙げました。
市内の指定避難所67か所のうち38か所が被災し、うち9か所から推計303~411人の尊い命が失われたからです。
彼らは、「避難したにも関わらず命を失った」ことになります。
報告書では、避難所で多くの犠牲者を出してしまったことや、県の津波予測を絶対視し「それ以上の津波はこない」として避難所の見直しを行わなかったことを真摯に反省しなければならない、としています。

そして、避難所とはいえ絶対に安全な場所とはいえないので、避難した後も、更なる高台への避難を行えるよう備える必要があるのです。
他にも、児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となり訴訟に発展した宮城県石巻市の「大川小の悲劇」や、避難訓練を8年間重ねてきた小中学校で児童・生徒計約3千人のほとんどが無事だった岩手県の「釜石の奇跡」は、対照的な事例でありながら、いずれも避難行動の重要性を伝えています。

いうまでもなく、最も大切なのは命です。生き延びた後の避難所では、様々な不便や苦しさはありますが、まずは生き延びることが大切なのです。
「防潮堤があるから、逃げなくてもよいではないか」あるいは「過去の津波ではここまで来なかったから、大丈夫だろう」と思われる方もいるかもしれませんが、防潮堤を上回る津波が来ない保証も、過去の津波より大きな津波が来ない保障もありませんので、ハード面の津波対策や過去の経験や記憶にとらわれず、避難することをおすすめします。