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陸前高田市『副市長』を務めて

コラム

【第1回】津波で壊滅したまちへ移る決断

東日本大震災から5カ月になろうとする2011年8月1日、当時35歳の官僚だった私は「陸前高田市副市長」に任命されました。

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【第2回】公然と批判したら大臣から嫌われた

ボランティアに入ったのが縁で陸前高田市の戸羽太市長から副市長への就任要請を受け、2011年8月から、私は陸前高田市で働くことになりました。

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【第3回】地元住民のためではない、廃校活用案

復興の課題としては、岩手県の場合、上記の「福島の復興・再生」を除いても「被災者支援」「住まいとまちの復興」「産業・生業の再生」など様々なものがあります。いずれも重要な課題ですが、復興のいわば「一丁目一番地」は「住宅再建」と言っていいと思います。

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【第4回】奇跡の一本松を巡る「復興のリーダーシップ」

陸前高田市を有名にしたのは、その被災状況の甚大さとともに、たった1本だけ生き残った松の木、いわゆる「奇跡の一本松」です。国の名勝に指定されていた公称7万本の松林から、たった1本だけ津波に耐えた松のことです。

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【第5回】在任中に最もしんどかった仕事

「裏山に避難誘導すれば助かっていたはずだ」とする宮城県石巻市立大川小学校児童の遺族の主張を認め、市や県に約14億円の支払いを命じた昨年10月の仙台地裁の判決は、学校側の法的責任を認めたことで注目を集めました。

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【第6回】企業による「復興支援活動」のリアル

「これからは、ある意味『被災地』間の競争です」この言葉は、『週刊SPA!』2012年6月5日発売号でエコノミストの飯田泰之駒澤大学(現明治大学)准教授と評論家の荻上チキさんのインタビューに答えた際にお話しした言葉です。

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【第7回】復興に必要な人材を求めて

主力となるはずの市役所職員295名のうち68名(23%)を津波で失った(臨時・嘱託職員を含めれば、443名のうち111名を失った)陸前高田市役所にとって、喫緊の課題はマンパワーを確保することでした。

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【第8回】歴史は繰り返す。後藤新平と震災復興

陸前高田市では、津波で被災した高田町と気仙町に海面高11m前後の地盤のかさ上げ工事を行い、今後の津波対策を強化した人工的な高台にコンパクトなまちづくりを行うことを計画しました。

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【最終回】「よそ者」が学んだこと

最終回では、「よそ者」がリーダーシップを取る上で学んだ点を整理しつつ、首都直下地震等の今後の災害を見据えての提案を述べたいと思います。

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